東北へ2014
(2014/8/6~8撮影)



 8月になり暑い日が続いているが、突然のように東北へ出かけてみた。車で2泊ぐらいで行けるところと考え、岩手県奥州市周辺、平泉の中尊寺、そして帰りに山形の山寺によるコースを考えた。1泊は水沢のホテル、そしてもう1泊は厳美渓の温泉旅館へ。たまには旅館ものんびりできて良かった。途中雨も降ったが、見学中はそれほどひどい雨ではなく、写真を撮る上ではかえって良かったかもしれない。3日分なので少し数が多いが、もしよろしければゆっくりご覧下さい。





奥州市正法寺。開創1348年。
福井の永平寺、神奈川の總持寺と並ぶ曹洞宗三本山の一つ。
本堂の茅葺きは日本最大級。
とにかく大きい。迫力がある。
静かな山の中で、その存在感は偉大だ。





本堂脇の庫裏(クリ)。右に見えるのが鐘楼。
庭には蓮の花が。
この落ち着いた雰囲気が好きだ。





乱れ積みの石垣。そして惣門。
荒々しい雰囲気が修行の場であることを暗示する。





お地蔵さんがあった。
比較的新しいものだが、何ともかわいらしい。





惣門の脇にはこんなものが。いかにも禅宗らしい。




奥州市伝統産業会館キューポラの館。
南部鉄器の作業工程を再現している。
非常に手間のかかる作業であることが良くわかった。





このての資料館は全国各地にあるが、改めて見るとおもしろい。
1つ1つが手間のかかる作業だ。





鉄器のさび止めの工程。
賢人の知恵に感心する。





奥州市武家住宅資料館。
水沢藩士内田家の武家屋敷。
何とも落ち着いた雰囲気だ。





昔の家は良く工夫されている。
冷蔵庫がなかった時代の知恵がある。





この部屋は学問所として使われていたのであろうか。
小さな庭も合理的で素敵だ。





庭から屋敷全体を臨む。
茅葺きの屋根に小さな縁側。
伝統的な日本の家屋だ。





2日目にえさし藤原の郷に行ってみる。
平安時代の建物を再現した歴史公園だ。
作りは安っぽさもあるが、平安時代を直に体験でき、その大きさも20haとビックだ。




公園内にある延命千年杉。
2500年前の鳥海山の噴火によって火山灰に埋没したものが掘り出された。
直径4.2m、樹齢1000年の古代杉である。
日本人は何でも神様にしてしまう。





御存知金色堂。
もちろん本物と比べると何とも安っぽい。
ただ本物は撮影禁止で大きな鉄筋の建物に覆われている。





767年に築かれた伊治城と城柵。
蝦夷の勢力範囲に接する朝廷の最前線の柵だそうです。
遙か昔の世界を想像し、ちょっとウキウキしますね。





大河ドラマ軍師官兵衛で小寺政職の居城御着城のロケが行われたそうです。
これだけの建物を良く再現したものです。





清衡館(キヨヒラノヤカタ)。
藤原清衡が江刺に築いた館。
平泉に進出するまでこの館に住んだそうだ。
まさにタイムスリップしたように感じる。





牛車(ギッシャ)。
TVで見たりするが、再現されたものと言っても実物は初めてだ。
車輪の大きさ、格調高い出来映えにビックリ。





平安時代の建物、東対(ヒガシノタイ)。
跡取り息子夫婦の生活の場であったそうだ。
装飾まで丁寧に良くできている。





平安時代の町並みを再現したものだそうだ。
こんな所で酒を飲み干していたのだろうか。





園内ではセグウェイを利用した観光案内をやっていた。
運動不足を解消するために来たのに、これを使ったのでは意味がない。





2日目の午後はいよいよ中尊寺へ。
本堂は明治42年に再建されました。
この釈迦如来座像は、平成25年に建立されたものです。
何となく今風でちょっと重みに欠ける感じも。





本堂内に展示してありました。
何とも力強いです。





こちらも本堂内に展示してありました。
平和を願い子供達が描いたものです。
原爆ドームを明るく描いた優しさに脱帽です。





老杉並木が続く参道。
何とも神秘的だ。
途中いくつものお堂が並ぶ。





旧覆堂。1288年建立。
700年にわたり金色堂を風雨から守ってきた。
現在は金色堂の脇に移築されている。
歴史の重みを感じる。





弁財天堂。
こんなお堂がたくさんある。
1つ1つに歴史の重みを感じる。




お堂の脇にはお守りを売るお店が。
珍しい「目のお守り」を購入した。





通称弁慶堂。
弁慶と義経の木像が安置されている。
雨の中でも参拝者が絶えない。





こちらは毛越寺の浄土庭園。
奥州藤原氏が描いた仏国土である。
何とも美しい庭園だ。





なめらかな曲線美と荒々しい磯浜。
周囲の木々との調和が何ともいえない。





鑓水。池に水を取り入れるための水路である。
平安当時の姿そのままに発掘された。
平安時代にはここで曲水の宴が行われたようだ。
この曲線美には改めて感心する。





金堂円隆寺跡。
現在は礎石が残るだけだが、その大きさがかつての寺院大きさを想像させる。





「如意の玉」といわれる宝珠を持つ地蔵菩薩。
この顔には癒やされる。





観自在王院跡、舞鶴が池。
何とも美しい池である。
周囲にはかつての繁栄を想像させる礎石が並ぶ。





同じく舞鶴が池。どこから見ても美しい。




2泊目は厳美渓温泉に。
朝、旅館を出た後その渓谷の美しさに驚き、慌てて駐車場を探す。





荒々しい岩と柔らかな水の流れが誠にすばらしい。




たくさんの人が集まっている東屋を発見。
何があるのだろう。





TVで良く見た空飛ぶだんご屋である。
かごにお金を入れ木札をたたくと、対岸の団子屋からロープ伝いに団子が送られてくる。
温泉街に団子屋はたくさんあるが、ここ以外はどこもガラガラであった。





自然の大きさとその先端にまで建物を作る人間の知恵に感心する。




3日目の午後、最後の訪問地「宝珠山立石寺(通称山寺)」に行く。
16年ぶりの訪問だ。





山肌を縫うように石段が続く。
何とも神秘的で気が引き締まる。





参道の途中にはいくつものお堂が点在する。
古くから信仰された地であることを窺わせる。





石段を一だん二だんと登ることにより、煩悩が消滅すると信仰されている。
大きな岩の上には仏様が置かれている。
このようなものがあちこちに繋がる。





参道の脇には多数の石碑や仏様が並ぶ。
ここに置く労力は大変なものであったろうと感心する。





小石が丁寧に積み上げられている。
その向こうにはきれいな風車が。





「後生車」という木柱。
年若くして亡くなった人の供養で、
南無阿弥陀仏と唱えて車をまわすと、その仏が早く人間に生まれ変わるという。





一番狭いところで約14cmの四寸道。
慈覚大師の足跡を踏んで先祖も子孫も登るところから、
親子道とも子孫道とも言われる。





途中岩山の壁にお金がはめ込んであった。
ほとんどが1円玉。
誰が始めたのだろうか。





もうすぐ仁王門。
8月なのにまだ紫陽花が咲いている。





山肌に沿ってお堂が並ぶ。
あともう少しで奥の院だ。





こんな山奥に郵便ポストがある。
毎日郵便屋さんは歩いて登ってくるのであろうか。
そもそも毎日郵便物が入るのであろうか。
まだまだ煩悩は消滅していないようだ。





やっとたどり着いた奥の院。
ここにはきれいな花が咲いていた。
朝顔かと思ったが、珍しい色で良くわからない。





五大堂から門前町を見下ろす。
こんな高いところへ良く作ったものだ。
先人の知恵と労力に感心する。





登ってきた道を降りる。
帰りはかなりひどい雨になった。
これから登る人を気遣う。




 3日間の旅を終える。思いつきで行った割には満足するものであった。また暑い日常が待っている。しかし旅のことを思い出しながら、何とかこの暑さも乗り切れるであろう。知らないこと、知らない所の多さにも気づく。写真を整理するとまたどこかへ出かけたくなる。




BACK