東北の旅2017
(2017/8/1~6撮影)
今年もまた東北へ出かけた。前半は昔の職場の写真仲間に誘われ仙台へ。後半は山形の米沢、羽黒山、鶴岡、酒田、そして秋田県横手市増田へ。山形県でも日本海側の鶴岡や酒田はなかなか行くのが大変だ。今回はその酒田の土門拳記念館が最大の目標だ。一度はゆっくり見ておきたいと思い出かけたが、やはり良かった。最後の横手市は時間調整のつもりであったが、ここも実に良かった。6日間の旅を120枚に凝縮してお届けする。枚数が多いので見る方も大変だと思うが、時間がありましたら是非ご覧下さい。
Ⅰ.8月1日 蔵王の御釜
宮城県側から蔵王ハイラインを上がると展望台がある。
ここから蔵王の御釜を見ることができる。
しかし一面雲の中、どこにあるのかもわからない。
やがてぼんやりと輪郭が浮かび上がってくる。
待つこと20分、目の前に飛び込んできた。
標高1700m気温17℃、寒い。
直径325mのカルデラ湖である。
天気も悪いし観光客もまばらだ。
しかし、霧が晴れ御釜が見えたときには、一斉に歓声が起こる。
Ⅱ.8月2日 松島
松島に来たのは何十年ぶりである。
いつもは何となく見学していたが、今回は事前に調べて歩いた。
この赤い朱塗りの橋の先に五大堂がある。
ちょうど高校生の総合文化祭全国大会をやっていたので、どこに行っても高校生に出会う。
せっかくなのでお詣りしているところをねらう。
何かいいではないか。
こちらは瑞巌寺の参道。
ここにも高校生が。
みなさん若くて元気が良い。こちらも元気をもらう。
瑞巌寺である。伊達政宗が再興したこのお寺は、まさに豪華そのもの。
正宗がいかに偉大であったかを肌で感じる。
残念ながら館内はすべて撮影禁止であった。
庫裡(くり)である。寺院の台所だ。
こんな建物にも唐草や花肘木の彫刻が施されている。
大屋根の上には煙出しが載っている。
この辺の地層は加工しやすいのか。
磐を切り抜き建物として使っているところが多数ある。
伊達政宗の孫光宗の菩提寺、円通院である。
茅葺き屋根の門が歴史を感じさせる。
円通院を表示した竹筒にはこんな飾りが。
石庭「天の庭」七福神庭園、松島湾内に実在する七福神の島を仏の庭に表した庭園。
京都に来たのかと思ってしまうすばらしい庭園だ。
ここにも円窓がある。苔むした屋根は味わいがある。
1646年建造の三慧殿、洋バラや水仙、トランプ模様など西洋的な模様が描かれている。
約700年前の洞窟群である。
バラの庭「白華峰西洋の庭」。
鎖国時代にもかかわらず支倉六右衛門常長を通して様々な西洋文化を伝えた。
日本最古の洋バラがあるという。(これは違います)
円通院本堂「大悲亭」。
伊達家2代藩主忠宗が1647年江戸から解体移築したもの。
三聖堂。1682年瑞巌寺101世鵬雲により建てられた。
中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という。
松島湾に戻る。観欄亭である。かつて伏見桃山城にあった茶室。
江戸品川の伊達藩邸に移築して、更に2代藩主忠宗が松島に移した。
別名月見御殿。
観欄亭からは松島湾を一望できる。脇からちょっと覗く。
観欄亭の敷地には、磐の間から伸びた巨木が多数ある。
これはいろは紅葉である。
松島湾の小島に何やら赤い橋が延びているのを見つけた。福浦橋である。
その小島は福浦島。島から渡ってきた橋を眺める。
福浦島は遊歩道が整備されており一周できる。
弁財天をまつる弁天堂である。
弁天堂には多数の小さいダルマが祀られていた。
福浦島からは湾内に浮かぶ小島がよく見える。
引通島である。
Ⅲ.8月3日 南陽・米沢
南陽市の熊野大社に来た。階段の周辺には多数の社が並ぶ。
山形を代表する湯殿山神社と月山神社もある。
806年に再建されたと伝わる熊野大社拝殿。立派な建物だ。
1626年に寄進された大梵鐘。
神楽殿は今にも崩れそうだ。地方の神社は建物の維持だけでも大変なことだ。
拝殿の奥に本殿があり、その本殿の裏側に多数の人が集まる。
ここに3羽の兎が隠し彫りされている。
3羽とも見つけると「お金に困らず、幸せになる、願い事が叶う。」と言う。
ここに1羽兎を見つけた。わかるであろうか?
たぶん間違いないと思うのだが・・・。
南陽市出身、大蔵大臣、日銀総裁を歴任した結城豊太郎の記念館に行ってみた。
これは生家か?観光客は一人もいなかった。
米沢に来た。松岬(まつがさき)神社。
上杉景勝、鷹山、直江兼続ら六柱を祭る。
ついこんなものを撮ってしまう。
こちらは上杉謙信を祭る上杉神社。1876年に米沢城の本丸跡に建てられた。
広い境内はきれいに整備され、参拝者が絶えない。
鈴を鳴らす白いひもが印象的だ。
上杉神社の右奥に福徳稲荷大明神があった。
屋根まで赤一色の独特の景観だ。
上杉伯爵邸。14代当主茂憲伯爵の邸宅。
大正14年建造の建物は気品がある。
行屋。
古くは成人の儀式として出羽三山に登拝する習わしがあり、
その前にこもり身を清めるための建物である。
上杉家廟所。杉木立の中に謙信公から12代藩主までの廟屋が立ち並んでいる。
中央が謙信公、その左右に景勝公から交互に並んでいる。
歴代藩主すべてが並ぶこの景観は歴史の重みを感じる。
こちらのおしゃれな建物、実は山形大学工学部の中にある。
旧米沢高等工業学校本館。
明治43年建造、全国7番目の高等工業学校である。
明治の建物はおしゃれだ。
昔の豪族の大邸宅のようにも見える。
赤い幟がなければ大学とは思えない。
ここで学んだ人々もおそらく熱気を持っていたのだろう。
Ⅳ.8月4日 羽黒山
米沢から北に上がり、ようやく羽黒山まで来ることができた。
羽黒山の入口、随神門である。1695年寄進。
赤い大きな門は迫力がある。屋根は元々は茅葺きであったか。
随神は櫛石窓神と豊石窓神。1752年作。
これがどちらかはわからない。
杉並木の中を歩いて行くと、途中にたくさんの神社がある。
その一つ一つがかなり立派なものだ。
途中1カ所川が流れている。朱塗りの橋の向こうにも神社が見える。
杉並木の間から見えてきた。五重塔である。
現在の塔は約640年前に再建されたもの。
実に大きく迫力がある。
白装束の方、観光ガイドのようである。
絵になる、思わずシャッターを切る。
真横から見てみる。人物と比較すると大きさが実感できる。
ここにも外人観光客が来る。すごい迫力だ。
永遠と階段が続く。2446段とか。
このあと更に傾斜がきつくなる。
中間地点の二の坂茶屋。毎日階段を昇って商品を運ぶのも大変であろう。
ようやく頂上の鳥居が見えてきた。
途中埴山姫神社があったのだが、
4月19日の倒木により倒壊してしまったそうだ。
羽黒山三神合祭殿。1818年再建。何という大きさだ。
白装束の団体が次々にお詣りする。
祭殿の屋根の内側にこんなものを見つけた。
いろいろ住んでいるのだろう。
少し遠くから見てみよう。茅葺き屋根の厚さは2.1mと言われる。
何とも大きく威風堂々としている。
梵鐘は1275年、何とあの蒙古襲来の際に寄進された。
鐘楼は1617年の再建。
右下の子供と比較しよう、何と大きいことか。
羽黒山頂上の広場にも多数の神社が整然と並んでいる。
下山途中、白装束の集団に出会った。
ここはまさに神聖な空間だ。
Ⅴ.8月5日 鶴岡・酒田
山形県の日本海側の町、鶴岡にやってきた。
大寶館(たいほうかん)。
大正天皇の即位を記念して建てられた。実にきれいな建物である。
現在は鶴岡ゆかりの人物に関する資料を展示している。
この小さな町から多数の文化人が出ていることに驚く。
大寶館のある鶴岡公園には、荘内神社がある。
ここは庄内藩主酒井家の居城、鶴ヶ丘城があったところだ。
ここの絵馬は、実に良く整理されている。
庄内藩校致道館の講堂である。
1805年の創設、このガラス戸はあとから直したものだと思うのだが。
それにしても良い造りをしている。
講堂の内部。始業式などの時に生徒はここに集まったそうだ。
ときには藩政の会議なども行われたようだ。
御入間。全4部屋あり、奥の部屋で藩主が教鞭を執られたようだ。
致道館内にある聖廟に孔子が祭られている。
実はこの孔子、すべて漢字で描かれている。
手の付近の一部を拡大しておこう。
すべて漢字だ。
致道博物館には歴史的建造物が並ぶ。
これは明治14年に建てられた旧西田川郡役所。
旧米沢高等工業学校と同様、実に美しい建物だ。
湯殿山の山麓、旧朝日村田麦俣から移築した民家。
こうしてみると茅葺き屋根の平屋にしか見えない。
横から見ると何と3階建て。2階3階は養蚕場に利用している。
兜造りと言われる山村豪雪地域の多層民家だ。
内部は当時の生活様式が覗える。
更に北に上がり酒田市にやってきた。
明治26年に建造された山居倉庫である。
緑のケヤキ並木と黒い倉庫は実に良い関係だ。
反対側の面は廊下がある。
屋根の下に空間があるのがわかるが、実は断熱を考慮した二重構造になっている。
元々は米の保管倉庫で、現在も農業倉庫として使われている。
12棟の一番奥は、庄内米の歴史資料館になっている。
黒壁の内側にはもう一つ壁があり、
間を風が抜けるようになっている。
ケヤキは日よけ風よけになっており、かなり蒸し暑い日であったがここだけは涼しかった。
倉庫の道路に面した部分は観光物産館になっており、食事もできる。
ここでお昼にいただいた海鮮丼は実にうまかった。
この倉庫は最上川の支流新井田側に接しており、ここから米を船に乗せ運んだのであろう。
三居稲荷神社。倉庫を建設するとき倉庫鎮守の神として移築された。
今回の旅の最大の目的、土門拳記念館である。
今までに雑誌等で見た写真もあるが、やはり大判のオリジナルプリントはすばらしい。
内部もきれいで見やすく、写真撮影もできる。
外観も実にきれいで、美術館としても良くできている。
サギであろうか。
慣れているのか窓の外ではあるが、カメラを向けても逃げる気配はない。
記念館は飯森山公園の内部にある。
市内の子供達であろうか、水辺で遊んでいた。
こういうスナップは楽しい。
Ⅵ.8月6日 横手市増田
横手市の南部に増田地区がある。ここは伝統的建造物群保存地区になっている。
明治初期から大正時代までの建物が保存されているのだが、その形状は独特なものだ。
佐藤又六家。
増田地区最古の店蔵で、他の建物と違い主屋の中に店蔵が組み込まれている。
外からも蔵が見えるが、蔵の中で日常生活をしている。
蔵の中に座敷があるのがわかる。
手前は蔵の外にあたり台所などがある。
蔵の内部の居間には、
アメリカ製の時計が今も動いている。
明治初期からある木馬。
今の主人も子供の頃この木馬で遊んだとか。
増田は生糸葉煙草などの生産流通、銀行経営などによって繁栄した。
ここは増田観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店)。
JR大人の休日倶楽部で吉永小百合がロケした蔵の入口。
増田地区の代表的な内蔵だ。
増田の梵天祭りは1643年に始まる。
家の中の土間に水屋と言われる井戸がある。
水屋の奥に内蔵がある。蔵は建物の中にあるので外からは見えない。
左奥がお店、ここは帳場、右手前を奥に行くと水屋と内蔵がある。
増田地区の典型的なスタイルだ。
旧石田理吉家。昭和12年建造のめずらしい木造3階建て。
明治14年に作られた座敷蔵を持つ。
まちの駅福蔵(旧佐藤興五兵衛家)。
明治12年建造の座敷蔵。見事な造りだ。
店の中には神棚が2つある。極めてめずらしいという。
こちらは佐藤養助商店漆蔵資料館。
この蔵の内部は見事だ。
内部は床壁天井に至るまですべて漆塗りである。
特に階段は漆を何層にも塗ってある。
階段の踊り場までは上がることが許された。
そこから2階の天井を見ると何と大きな張りがある。
もちろんこれも漆塗りである。
日の丸醸造。現在増田で唯一の醸造元。おしゃれだ。
増田の町並み案内所ほたる。最近整備されたようだが、町並みに合うきれいな造りだ。
谷藤家。昭和前期の建物はどこか郷愁を感じる。
明治中期の蔵は内蔵と外蔵を併せ持つ。
秋田県横手市にこんなすばらしい地区があるとは知らなかった。
横手の観光を検索する中で見つけたが、見学できて実に良かった。
まだまだ日本には知らないところがたくさんある。
最後に横手市の中心部へ。せっかくここまで来たので、石坂洋次郎文学記念館へ。
書斎の一部が復元されている。
洋次郎と言えば青い山脈、何となく内容は知っているが、
考えてみるとちゃんと映画を見たり本を読んだりしたことはないような気がする。
でもこの写真はノスタルジックだ。
6日間の旅を終え自宅に向かう。
今回も十分楽しむことができた。