北陸の旅・金沢
(2018/10/11~12撮影)
今回は金沢である。金沢には過去に2度行ったことがあるが、いずれも兼六園を見ただけであった。今回は時間をかけ兼六園以外の所をゆっくり見学した。1日は雨であったが、それもまた良いではないか。自分の足で歩くことにより観光地の位置関係も良く理解できた。加賀百万石から現代へ至る繁栄も少しは理解できたように思う。それでは美しい金沢の町並みをどうぞご覧下さい。
石川四高記念文化交流館。旧第四高等中学校の校舎だ。
現在の大学にあたるものと思うが、北陸の地の文化の高さに脱帽する。
当時の教室がそのまま残されている。
学生の熱気が未だ残っているようだ。
交流館を北に行くと尾山神社がある。前田利家とまつを祭る。
雨が強くなってきたようだ。
明治8年に建造された神門。五彩のギヤマンがはめ込まれている。
〔金沢城〕
1788年再建の石川門。存在感がある。
門の内側の石垣は右と左で積み方が違う。
右側は「切石積み」、左側は「粗加工積み」である。
城内には石の積み方の説明がある。
最も古い自然石積み。
粗加工積み。
割石を加工し形や大きさをそろえた石材を用いて積む。
切石積み。
丁寧に加工した切石を隙間なく積む。
平成13年に復元された五十間長屋と菱櫓。
菱櫓はその名の通り菱形になっている。
平成22年に復元された河北門から菱櫓を臨む。
1848年建造の土蔵、鶴丸倉庫。武具が保管されていた。
明治以降は陸軍の被服庫として使われていた。
1858年再建の三十間長屋。重厚である。
藩政時代の城下町の中心地尾張町。
明治40年に建築された旧金沢貯蓄銀行は、現在町民文化館になっている。
古い家屋がいくつか残されているが、観光客はほとんどいない。
雨も強くなってきたので、金沢21世紀美術館へ。
有名なスイミング・プールを見たかったのだが、雨のため見学できなかった。
特別展は前衛的な作品も多く理解不能なものもある。
しかしトイレまで一つの作品になっており、実に楽しい空間だ。
〔ひがし茶屋街〕
茶屋建築の連なる町並みは実に美しい。
国指定重要文化財「志摩」。
お茶屋独特の造りを見学できるが、一眼での撮影は禁止であった。
個人的にスマホでは撮影してきた。
木造3階建てのお店は郷愁をそそる。
明治42年創業のレストラン自由軒。ランチにオムライスをいただく。
この茶屋街を自転車で走る。こんなことをやってみたい。
べんがら格子の建物と柳が良く似合う。
こちらは和菓子カフェ。何にしようか迷ってしまう。
酒や珍味の販売、試飲もできる。
1625年創業の森八。昔の菓子木型なども展示されている。
細い道が入り組んだところに建物が連なる。L字形の木造建築は実に素敵だ。
箔一の金箔ソフト、ハロウィン仕様である。
撮影用のスタンドまで用意してくれる。
これは絶対食べたかった。
茶屋街の奥にある宇多須神社の軒下には、忍者が隠れていた。
城北大通りには木造3階建ての建物が。
昔懐かしい薬局だ。
〔主計町(かずえまち)茶屋街〕
浅野川左岸に格子の建物が並ぶ。短い区間だが落ち着く場所だ。
この狭いところに木造3階建ての旅館がある。
格子造りが実にきれいだ。
版画家のクリフトン・カーフが晩年を過ごしたところ。
見事な装飾である。
暗がり坂の入口。階段のすぐ手前まで建物が迫っている。
鏡花を偲んで五木寛之が名付けたあかり坂。
あかり坂を下から臨む。建物がくっつきそうな狭い路地だ。
この狭い路地に高野山真言宗源法院があった。
主計茶屋街を南に行くと金沢文芸館がある。
尾張町の東端にあたる。
学生時代に良く読んだ五木寛之の直筆原稿や、五木の奥さんが描いた絵も展示されている。
〔にし茶屋街〕
にし茶屋街はひがしに比べ観光客も少なく落ち着いた場所だ。
昔の建物を利用しカフェなどを開いている。
西茶屋資料館はお座敷を再現し、三味線や太鼓などが展示されている。
古い建物を利用し現代芸術の展示等を行っている。
これは実におもしろかった。
〔長町武家屋敷跡〕
1579年創業の老舗薬種商「中屋薬舗」。
現在は金沢市老舗記念館になっている。
武家屋敷跡野村家の一室。隅々まで実に豪華だ。
総檜造りの格天井も素敵である。
茶室は質素だが実に気持ちが良い。
金沢市足軽資料館である。当時の足軽の生活が良くわかる。
「あま」と呼ばれる屋根裏を利用した居室。
本来は収納空間であったが畳を敷いていたそうだ。
最後に金沢駅を撮影する。
昼間は市内を散策していたので、駅は夜しか見ることができなかった。
この建物もじっくり見たい気がする。
2日間の金沢の旅も終了する。やはり何度来ても良いところだ。
市内のあちらこちらを歩き回ったので、金沢の良いところを少しは理解できたように思う。
次回は福井です。