鎌倉・扇ヶ谷
(2020/1/20撮影)


 1月も下旬、大学の友人との飲み会が横浜であり、翌日鎌倉に行ってきた。この日は大寒であったが、暖冬のためとても暖かく撮影にはちょうど良い一日となった。扇ヶ谷(おおぎがやつ)とは、かつて扇ヶ谷村と呼ばれた鎌倉駅から北鎌倉駅の線路沿いの山際一帯の地名である。源家父祖伝来の地であり、源氏に関連した寺や神社がある。鎌倉は桜や紫陽花の季節に訪れることが多く、いつも同じようなところに行ってしまうので、今回は今まで行ったことのないところにしようと思ったのである。




壽福寺。源頼朝の父義朝の居館跡に立つお寺である。
門まで続く石畳は実に気持ちが良い。



石畳の両脇、垣根にあたるのであろうか、これも素晴らしい。



寺の裏山は墓地になっており、その奥に北条政子の墓がある。



壽福寺総門を内側から撮影する。門の外は空き地があり、保育園児たちが遊んでいた。



英勝寺佛殿。寛永12年(1635年)創建。
運慶作と伝えられる阿弥陀三尊像が安置されている。



総門。1643年建立、関東大震災で全壊したがすべての部材を使い別の地で再建、
平成23年に里帰りした。小さい門であるが迫力がある。



浄光明寺、客殿。北条氏6代執権北条長時が建長3年(1251年)に創建。



鎌倉彫であろうか、すばらしい。



境内には水仙が咲いていた。



昼食をとるため若宮大路まで戻る。
段葛は人でいっぱいだ。



太鼓橋を内側から望む。ここから見るとなかなかきれいだ。



鶴岡八幡宮を下から拝んでおく。



小町通りを歩いていると猫カフェを見つけた。



今はやりの御朱印帳だ。カラフルできれいだ。



線路沿いの道を北に上がると、途中で小さな稲荷を見つけた。
英勝寺と書いてある。稲荷神社ではなく稲荷大明神だ。



海蔵寺の入り口わきにある底脱の井(そこぬけのい)。
鎌倉十井の一つである。



海蔵寺本堂。建長5年(1253年)に鎌倉幕府6代将軍宗尊親王により建立したが、
鎌倉滅亡により焼失。室町時代応永元年(1394年)に再興されたものだ。



入口にすばらしい書があったので撮っておく。



薬師堂。中央が本尊の薬師如来坐像。
その両脇に日光菩薩像と月光菩薩像が並ぶ。



庫裡。1785年建立の茅葺2階建ての建物である。



鐘楼の手前、赤い傘のところに十六ノ井の拝観料を収める。



山際の道を進むと、弘法大師によって掘られたといわれる十六ノ井が洞穴の中にある。



鎌倉七切通のひとつ、化粧坂(けわいざか)。
新田義貞の鎌倉攻めのとき激戦地になった坂道だ。
今でも距離は短いがちょっとした山登りのような坂道だ。



源氏山公園。右にあるのが源頼朝像である。
ここに来たのは初めてであるが、春には桜がきれいであろうと想像する。



なだらかな坂道を降り、銭洗弁財天にやってきた。
ここは数十年前に一度来た記憶があるが、よく覚えていない。



ここで線香とローソクを買い、かごを借りる。
お札を洗うためにかごは絶対に必要だ。



別の角度から。無造作に並ぶかごがいい。



小さな売店もあった。何か懐かしい感じでいい。



線香をあげ、とりあえず煙は良くかぶっておく。



奥宮、宇賀神と弁財天が祀られている洞窟である。



鎌倉五名水に数えられる銭洗水でざるに入れたお札を洗う。



絵馬もたくさん並んでいた。ねずみがかわいい。



上之水神宮。宇賀福神社の水口の守護神として、
水の神様「水波売神(みずはのめのかみ)」が祀られている。



トンネルを抜け元の道に戻る。
戦前は洞窟だったところをくりぬいてトンネルにしたそうだ。



鎌倉駅の方へ戻る途中に佐助稲荷神社がある。
頼朝は若い時代に佐殿と言われており、
その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われている。



本殿まで登れない人のために下拝所が用意されている。



9月の大雨台風の影響があったようだ。
階段の一部が崩れすれ違うのも大変だ。
新設している鳥居もあった。



境内には所狭しと白狐が祀られている。



苔むした祠がたくさんあり、白狐が祀られて祠を守っている。
なんとも素晴らしい空間だ。



49基の鳥居を上から望む。
伏見稲荷大社と比較すると何かかわいらしい。
鎌倉扇ヶ谷の旅は実に面白かった。
まだまだ知らない鎌倉がたくさんある。
またゆっくり来たいものだ。



BACK