散歩日記③
(2020/5/24撮影)


 今回は清住町通りから星が丘周辺を散策した。実は星が丘周辺は私が幼児期を過ごした場所だ。車では時々通るのだが、一度ゆっくり歩いてみたいと思いやっと念願がかなった。もう60年近く前のことである。風景もすっかり変わってしまったが、いまだ変わらないところもある。そして幼なじみの家3件を回ってみた。表札には昔と変わらぬ名前があったが、もう50年近く会っていない。さすがにノックをする気にはなれなかった。もう子供の代になっている可能性も高い。今回は極めてプライベートな写真で、見ていてもつまらないものばかりであると思う。ただ私にとっては極めて懐かしい風景ばかりだ。たまにはこんなものも良いだろう。




路地の正面に古びたトタン屋根の建物が見えた。
昔の看板屋さんのようである。
自治会の掲示板だけがやけに新しい。



安養寺、母方の祖母の菩提寺である。
幼児期よく連れられて行ったが、今は前を通るだけである。



旧日光街道(清住町通り)にある上野本家。
北関東初の百貨店、上野百貨店の本家だ。
幼児期上野さんと呼ばれたデパートは廃業したが、いろいろ事業を継続しているようだ。



都会では時々見かけるが、宇都宮にもこんなに小さい神社があった。
三峰神社、天保3年(1832年)建立。



蔦に浸食されたような建物があった。
池田竹店とは別の建物のようだ。



旧日光街道には古い建物がいくつか残されている。
正面から見ると黒い蔵のような造りだが、側面はモルタルのようにも見える。
大きい瓦屋根が魅力的だ。



桂林寺の右隣に琴平神社があった。
今までここに神社があることなど知らなかった。
旧市庁舎の落成祝典の掲示もある。



同じ境内に小さな祠と石碑もあった。
今ではここを訪れる人はほとんどいないであろう。



こちらも古い建物だ。
ガラス戸はアルミのきれいなものに変え、衛星放送のアンテナも立っている。



こちらの蔵のような建物も重厚で魅力的だ。
何かお店をやっていたようにも見えるが今はよくわからない。



清住通りから星が丘通りに抜ける近道の路地。
自転車も通れないような細い路地を、幼児期良く通った記憶がある。
いまだにこの路地が残っているのが信じられないくらいだ。



その路地を抜けると消防団第1分署がある。
昔は火の見やぐらがあり、消防車が良く止まっていた。
建物は新しくなったが、雰囲気は昔のままだ。



星が丘の坂道。日本遺産に登録された大谷石文化の構成要素の一つにもなっている。
今は一部アスファルトで補修してあるが、昔の風景と変わらない。
幼児期はここでよく遊んだ。



この風景は忘れられない。おそらく55年ぶりの再会だ。



不思議なことに大谷石塀の中の木もツツジも昔のままだ。
いまだこのままであることは奇跡に近い。



星が丘通りに面するかどの家。
建物は新しくなったが、この石塀は昔のままだ。
右につながる道路ではよく野球をやった。



釜川も整備されきれいになった。
この少し上流は田んぼの中にあり、よく石を投げてせき止めたり橋を作ったりした。



今は暗渠になっているこの部分でよく野菜を洗っていた。
この水色の建物のところに野菜の出荷場のようなものがあった。
いつも賑やかで活気があったように記憶している。



釜川沿いに歩いていくと空き地に大谷石の蔵があった。
宇都宮にはこんな蔵が今でもいくつも残っている。



釜川はずいぶんきれいに整備された。
しかし川の手前まで迫る建物の造りは昔と変わらない。



幼児期住んでいた家もこのような高屋根の西洋風の部屋があった。
形は全く違うのだが、何か懐かしく感じた。



釜川から清住町通りに抜ける道は、どこを通っても必ず坂道になる。
この坂道が懐かしい。どこにでもある坂道なのだが。



帰り道、観専寺の掲示板でこんなものを見つけた。
手書きのメッセージは何かうれしい。
緊急事態宣言は全面解除になったが、気持ち的にはそう晴々したものではない。
それでも少しずつ撮影範囲を広げられればと思っている。
もちろん密集するところは避けて。



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