太田市金山城・世良田東照宮
(2020/8/8撮影)


 今回は太田市の金山城址と世良田東照宮に、友人とともに撮影に出かけた。いつもは撮影は一人で出かけることにしているが、たまにはこういうのも良いだろう。金山城址はその友人から聞いたものだが、戦国時代の山城で、自然の地形を利用した堀切や土塁、石垣などが残っている。1469年築城、1590年廃城ということで、まさに戦国時代を生きた城であり、これほど大規模な石垣がある戦国時代の山城は関東地方では珍しいという。世良田東照宮は、日光東照宮にあった古社殿を1644年に移築したものである。この地は新田氏の開祖新田義重の居館跡があり、徳川氏は新田氏から分立した世良田氏の末裔を自称したことにより、ここに東照宮を創建したようだ。江戸時代にはこの世良田は、江戸と同じように繁栄していたというから驚きである。歴史のある2つの地をどうぞご覧ください。



  
まずは昼食のため太田市で2番人気の喫茶店「森の木コーヒー」へ。
1番人気はわけあって断念、BOOK CAFEということで多くの本が置いてある。
店は小ぎれいでセンスが良く、サンドウィッチは実にうまかった。



西矢倉台西堀切。見事な堀切である。
この堀切は他とは異なり堀底に石が敷いてある。



こちらは西矢倉台下堀切。
堀切とは、山の尾根筋を意図的に分断し、敵の侵入を防ぐための施設である。
このような堀切がそのまま残っているのはすばらしい。



石敷きの馬場下通路、そしてその先に土塁石垣が見えてきた。



見事な土塁石垣である。戦国時代にこのような石垣が関東地方でできていたとは驚きである。



石垣はこの山を作ている岩盤と一体になっている。



石敷き通路を歩いていくと、正面に基壇状石積みが現れる。
その威圧感に圧倒される。



土塁石垣が山の地形に沿って続く。中央部は崩れたまま保存している。



礎石建物跡。木材は補強のため整備上取り付けたもの。
礎石からするとかなり重要な建物があったと思われる。



馬場下通路は迷路のような構造になっている。
途中に石階段がある。



物見台。基壇は自然の地形に沿って等脚台形に造られている。
この物見台からは金山城の周囲が良く見渡せる。



物見台から周辺を見てみる。実に良く見渡せる。



月ノ池。上下2段の石垣で囲まれている。
底は粘土層になっており、谷斜面からの表流水や浸透水が溜まるようにできている。



この柵列の上が馬場曲輪である。建物もあり、石組みの排水路も作られていた。



大手虎口。奥にある実城
(みじょう)へ向かうための通路を守った一大防御拠点である。
この連続して見える石垣と石の通路はすごい迫力だ。



石垣を接写しておく。
現存石垣と転用・新補石材の間に鉛板を入れて区別したとあるがよくわからない。



大手虎口を奥に進む。通路脇には石組の水路が作られている。
この両側にいくつもの曲輪がある。



虎口南上段曲輪周辺。中央部の四角い枡が石組み井戸址、その右側が石敷き建物址である。



日ノ池。石敷きと石垣に囲まれており、2つの石組み井戸がある。
井戸は生活用水を確保するため、池は戦勝祈願や雨乞いなどの儀式に使うため、
2つを使い分けていたようである。



推定樹齢800年、目通り周6.79mの大ケヤキ。
神社の参道脇にあり、御神木と同様の扱いを受けている。



急な石積みの階段の上に新田神社がある。
石積みの階段は戦国時代を想像させる。



新田義貞公を祀る新田神社。
1873年神社創立の許可を得、1875年社殿を建築。
金山城の本城(実城
みじょう)近辺に造られている。
新田義貞の子孫にあたる由良成繁が金山城の全盛を築いた。



新田神社の脇にある梅若稲荷神社。鳥居を横から撮っておく。



2人の人物が立っているところが大手虎口から連なる中央通路。
1人の人物が歩いているところが虎口北下段曲輪。
手前は南上段曲輪にある石組み井戸址。石垣の大きさが良くわかる。



上の写真の中央やや下にいた猫がいきなり石垣を登った。
すかさずシャッターを切る。器用なものだ。



虎口南上段曲輪の壁面の土塁石垣。
岩盤の上に石を積み一体となっている。



金山城と同じ太田市内にある世良田東照宮。
御黒門(縁結び門)である。
この門の蹴放し
(けはなし溝のない敷居)をまたいで参拝すると良縁が成就すると云われ、
縁結び門とも言われた。



鉄燈籠(重要文化財)。1618年に造られ、高さ4.95mは
当時日本一の大きさである。1658年当宮へ奉納される。



拝殿(重要文化財)。日光東照宮奥社拝殿として1615年~1623年に造営され、
1644年に移築されたものである。
拝殿には、鷹や飛龍、天女、ぼたん、鳳凰など優れた彫刻が施されている。



石燈篭。東照宮創建にあたり、世良田の社寺領以外を領していた
忍藩5万石の阿部豊後守忠秋が奉納したものである。



唐門(重要文化財)の一部を撮っておく。
日光東照宮奥社神廟前にあった門を移築したもの。
三つ葉葵が目を引いた。
太田市は初めて訪れたが、歴史文化施設や寺社が多数あり興味深い。
足利、太田、桐生と50号線沿線には歴史のある町が並んでいる。
機会があれば、また周辺を訪れてみたいと思う。



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