粟野城山公園
(2021/4/23撮影)
今回は粟野の城山公園です。この公園はこの時期ツツジで有名で毎年つつじまつりが行われているが、コロナの影響でまつりは中止になっていた。まつりは中止でもツツジは見られるだろうと思って行ったのだが、ほとんど咲いていなかった。どうやら今年は気温が高く早く咲いてしまったことと、雨不足や虫の発生などで花が枯れてしまったようだ。それでもしばらくぶりの撮影で、天気も良く青空に新緑がきれいで楽しめた。この公園は旧粟野城の跡地に整備されたもので、最近山城もいろいろ見ているのでその辺もちょっと興味を持って見てきた。新緑と少し残ったツツジ、そして山城の雰囲気をどうぞご覧ください。
3年前に訪れた時は真っ赤だった斜面も、咲いているのはごくわずかだ。
わずかに残っていたツツジを撮影、きれいだ。
これは山桜ではないか?まだ咲いていたのだ。
城山スカイローラーの入り口。長い滑り台だ。
115mの長さがあり、麓まで一気に滑り降りることができる。
ここからは粟野の町並みが良く見える。新緑がきれいだ。
別の尾根を登ると五重塔があった。明治時代に建てられたもののようだ。
東の山腹には斎藤秀隆の墓がある。
天正16年(1588年)の戦いで討死した。
旧粟野城城主である。
ここへ通じる道は整備されておらず、立ち寄る人もほとんどいない。
女二城と呼ばれたところの尾根先端部に二重塔がある。
いつ作られたものかはわからない。
この塔の付近から周辺を撮影、3枚の写真をつなげてパノラマにした。およそ180度である。
途中堀切を発見、雑草に埋もれているが確かに堀切だ。
このベンチのある所は本丸のあったところだ。
口粟野防空監視哨。太平洋戦争時に米軍B29の監視を行っていた。
標高357m、周辺で一番高い山頂にある。
その監視哨のすぐ右隣に石碑があった。
良く見ると源慶喜書とある。15代将軍徳川慶喜だ。
粟野の名家横尾家の横尾勝右衛門が書を好み勝海舟などとの交わりを深め、
その縁によるものらしい。明治時代この山を所有していて山頂に置かれたようだ。
山頂にもツツジが咲いていた。
山頂付近に曲輪のような広場があり、そこでお昼を食べていたおばさんたちが下山していった。
地元の人たちであろうか、おしゃべり好きでなんとも元気だ。
杉林の中を下山する。こんな林の中を歩くのは気持ちが良い。
麓に鳥居がある。戦争の慰霊碑だ。
その慰霊碑のうしろに旧粟野城の石垣が残っている。
草に覆われて良く見えないが確かに石垣だ。
さて本丸はと思ったらいつの間にか通り過ぎていたようだ。
仕方なくもう一度山を登る。ここが本丸跡とは思わなかった。
実は先ほどベンチを俯瞰した写真を撮っていたときは本丸だとは知らなかった。
本丸はもっと高いところにあるのかと思っていた
もちろん今は痕跡は何もない。。
本丸の後ろ側は屏風のように山がある。
そこそこ高い場所から話し声が良く聞こえる。
ここにもツツジが咲いていた。
なお、粟野城は1590年の豊臣秀吉の小田原攻めによって廃城となったようだ。
さてもう一度麓まで降りていく。駐車場わきで藤の花を見つけた。
最初に公園を見たときはツツジがほとんどなくがっかりしたが、
歩いてみると新緑がきれいで気持ちが良かった。
わずかでもツツジも見ることができ良かったと思う。