香取神宮・鹿島神宮・息栖神社
(2022/10/20撮影)


 今回は3つの神社を訪れた。香取神宮・鹿島神宮は、明治以前は伊勢・香取・鹿島の3つのみに神宮の称号を与えられたきわめて歴史のある神社である。そして息栖神社は、香取・鹿島とともに東国三社と称されている。いずれの神社も歴史が古く、特に香取神宮はその素晴らしさに圧倒された。この地域が歴史的にもいかに重要であったかが少し理解できたような気がする。




香取神宮の参道にはいくつものお店が並ぶ。しかし休業している店も多い。



鳥居をくぐるといくつもの石灯篭が並んでいた。



階段の上に総門が見える。すごい迫力だ。



こちらは楼門、その奥に拝殿が見える。



楼門を内側から撮っておく。元禄13年(1700年)造営。



こちらが拝殿、昭和15年の造営、実に立派だ。
この奥に本殿があり、楼門と同じく元禄13年の造営だ。



拝殿の一部を切り取る。すばらしい装飾だ。



神楽殿(旧拝殿)。現拝殿を造営するにあたり、旧拝殿を現在の場所に移築し神楽殿とした。



さし石。力くらべに用いた力石を奉納したものである。



香取護国神社。思っていたより小さい祠だった。



要石。地震を起こす大鯰を抑えるため地中深くまで差し込んでいるとされる霊石。
鹿島神宮にもあった。



奥宮。現在の社殿は昭和48年伊勢神宮遷宮の折の古材によるものだ。
このあと鹿島神宮へ移動する。



鹿島神宮大鳥居。
東日本大震災により倒壊し、平成26年境内に自生する杉の巨木を用いて再建された。



楼門。日本三大楼門といわれる。
寛永11年(1634年)奉納。浅草水戸藩下屋敷で切組み、舟筏で運んで組み立てたそうだ。



本殿、拝殿などはご覧の通り工事中であった。
元和5年(1619年)寄進、重要文化財に指定されている。



仮殿。元和4年(1618年)社殿造営のため徳川秀忠が奉納。
本殿を移し替えるために作られたものだ。



奥参道。巨木に覆われ荘厳な雰囲気を醸し出している。



さざれ石。



鹿園。鹿は神の使いとして大切にされている。
奈良春日大社を創建する際、鹿島の神様の御分霊を鹿の背中に乗せてお遷ししたと伝わる。



摂社 奥宮。慶長10年(1605年)徳川家康が奉納したもの。



要石は鳥居の中に祀られていた。



香取神宮にもあった要石。
水戸光圀が確かめようとしたものの、
怪我人が続出して諦めたという。



御手洗池。一日に40万リットル以上の湧水があるという。
丘から水平の伸びる大木に圧倒される。



ここは鹿島アントラーズの本拠地。絵馬も必勝の文字が多くみられる。
さて、最後の息栖神社へ移動だ。



東国三社の息栖神社だ。
二の鳥居から神門にかけ石灯篭が並んでいる。



二の鳥居脇に猫がいた。人には慣れているようだ。



境内社が2つ並んでいる。香取神社・鹿島神社だ。



本殿・拝殿は昭和38年に建て替えられた鉄筋製のものだ。



境内には石の祠が多数置かれていた。



礎石。奈良時代にこの地に遷宮され、数回に及ぶ建て替えがあり、
そのいずれかで礎石として使用されたもの。
昭和38年の建て替えで役割を終えた。



鹿島神宮にもあった力石。大切に守られている。



中央が一の鳥居。右手前の一つ小さい鳥居があるところがが男瓶。
忍潮井(おしおい)といわれ清水が湧いている。
社前の川一帯が海であったころから清水が湧き出ていたので名付けられた。



こちらが女瓶。小さい鳥居でかわいい。



川の堤防から一の鳥居を見る。
左が男瓶の鳥居、右の柳の木の下の方に小さな女瓶の鳥居が見える。
中央の奥に見えるのが二の鳥居だ。



堤防から反対側、常陸利根川を臨む。
昔は海だったというが、今でも海のように大きな川だ。
さて、東国三社を訪れたが、いずれも立派な神社であった。
水運の時代、歴史的にもこの地がいかに重要であったか理解できたような気もする。
次は銚子の方を回ってみたいと思う。



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