皆川城址・蔵の街栃木散策
(2022/6/1撮影)


 今回は栃木市の皆川城址と蔵の街を散策してきた。皆川城は栃木の基を築いた皆川氏の居城、別名「ほらがい城」とも呼ばれ、ほら貝のように山頂に向け道が連なる。一度行ってみたいと思っていたが、今回ようやく実現できた。蔵の街はすでに何度か訪れているが、今回は新しい発見があった。初夏の栃木市の散策の様子をどうぞご覧ください。




皆川城址は皆川公民館のすぐ裏手にある。
入口を過ぎると2つの神社があった。その一つ厳島神社だ。



竪堀である。幅9m、深さ4~5mの空堀だ。



西桜平。このような平らなところが数カ所ある。桜が植えられていた。



頂上まではこのような森が続く。南側の斜面は木を切り倒し整備されている。



頂上に着いた。標高147mの山城。
1394年頃から1609年まで築かれていたらしい。



頂上からの眺めは実に良い。遠くに筑波山が見える。ここに城を築いたのもうなずける。



市の中心部「イグレック食堂」でランチだ。
昼は食堂、夜はバーになるようだ。



ビルと古い日本家屋が共存する。NTT東日本のビルだ。



小路を進むと定願寺に辿り着いた。
815年開基、1563年皆川城主皆川俊宗により現地に移転された。
賽銭箱には足利家の紋があった。



この石灯篭は8代将軍吉宗公の廟前に奉納されたものを移建したものだそうだ。



墓石が集められているところがあった。永代供養であろうか。



こちらはよく見られるお地蔵さん。どこで見てもいいものだ。



吾唯足知(われただたるをしる)。京都龍安寺から広がったようだ。



蔵の街大通りは電柱もなく、きれいに整備されている。
一見きれいな街灯、これが蔵を撮影するとき邪魔になるのだが。



嘉永元年(1848年)創業の三枡屋。
歴史を感じさせる木造建築が目を引く。



雑誌類が道路側に並べられていた。最近このような本屋は珍しい。



蔵とよしず、麦わら帽子がいい味を出す。



「とちぎ一番街」「大感謝祭」並べられた洋服、すべて昭和だ。



神明宮にきた。室町時代に創建された神社で、天照皇大神を祀っている。
ここは栃木の名前の由来の地としても有名である。



参道脇には福寿稲荷神社があった。お稲荷さんは何か楽しい。



拝殿の奥に本殿が見える。お供えが輝いて見える。
拝殿は明治8年中教院講堂として建立され、中教院廃止後拝殿として奇跡的に残されたものである。



かつてこの神社の本殿に10本の千木がついていた。
千木とは神社本殿の棟の両端に交差して立つ飾りのことだ。
十の千木、だから「とちぎ」なのだ。初めて知った
なおこの金の装飾は、平成31年の屋根の葺き替えの整備でつけられたようだ。



提灯にも千木が図案化されている。



更に町中のマンホールのふたには千木が描かれている。
かつて栃木市市章だったようだ。
この千木は中央に点がある。
実は神明宮で詳しく説明を受けたのであった。感謝である。



浄土宗近龍寺にきた。栃木出身の文豪山本有三のお墓があった。



旧栃木町役場庁舎。令和4年4月27日栃木市立文学館として開館した。
整備されずいぶんきれいになった。



古い鉄筋の建物があった。
当然やっていないと思ったが、シャッターが開き人が出入りしていた。
交差する電線が良く似合う。



巴波川である。蔵の街栃木を代表する風景だ。



蔵の街遊覧船だ。
江戸時代初めごろから、栃木と江戸方面を結ぶ舟運の交通路として利用されていたという。



古い町並みと黄色い帽子、変わらない風景は何かホッとする。



最後にCoridou Coffee Factoryで一休み。
蔵の街栃木は何度か来たが、今回は栃木の名前の由来も知り収穫が多かった。
もちろん由来の中の一つであるが、何か夢があっていい。
この町を訪れると、栃木県の中心は栃木市だということをどこか感じる。
宇都宮市民としてはちょっとうらやましい。



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