岩船山高勝寺・大中寺散策
(2022/9/10撮影)
栃木市には歴史のある興味深いお寺が多いようだ。岩船山高勝寺は偶然見つけたのだが、何か面白そうなので出かけてみることにした。岩舟駅近くの参拝者用駐車場から600段の階段を上がっての参拝、さすがに疲れた。そしてもう一つ、大平町のブドウ団地の奥にある大中寺。こちらは名前だけは聞いていたが、高勝寺から割と近いので帰りに寄ることにした。この日は天気も良く、さりとて暑すぎることもなく撮影にはちょうど良かった。歴史のある2つのお寺をどうぞご覧ください。
両毛線岩舟駅。無人駅だがきれいに整備されている。
駅前には何もない。24時間営業のお店かと思ったら自動販売機だ。
駅近くの専用駐車場から北に行くとすぐに参道になる。
切り立った岩山が印象的だ。あの頂上付近にお寺があるようだ。
階段の手前で猫に会った。ずいぶんくつろいでいる。
600段の階段、これほどの階段はしばらくぶりだ。
それでも樹木の中を歩くので気持ちは良い。
階段の中腹ほどにお地蔵さまが祀られている。
大山の修行僧弘誓坊明願が生身地蔵と会ったとされる地だ。
寛保2年(1742年)建立の仁王門。規模の大きさは県内随一。
2つの仁王像を撮っておく。なかなか迫力がある。
内側から見るとこんな感じ。実は正面からだと木が邪魔して全体が入らなかった。
何と車がある。階段を登らなくても裏道を使って車で来れたようだ。
本堂は火災で焼失し、昭和2年に再建されたものだ。
岩船山の松も使われているという。時々参拝者が訪れる。
本堂は質素だがとても良い雰囲気だ。お賓頭盧さんもいた。
本堂脇には塔婆がたくさん供えられている。
岩船山は太古の昔より霊の集まる処、霊場である。
下北半島の恐山を思い出した。
境内にはいたるところ古いお墓が並んでいる。
中には墓石が途中で割れているものもあった。
奥の院。弘誓坊明願が満願の日、生身地蔵が地蔵尊の姿になった縁の地だそうだ。
孫太郎本殿。境内で一番高いところにある。
孫太郎本殿から三重塔に向かう途中多数の塔婆が供えられていた。
すべて本堂のほうを向いている。
道端にあるお地蔵さまには服が着せられていた。どういう意味があるのだろう?
寛延4年(1751年)建立の三重塔。高さ19mの宝塔だ。
彫物も良くできていて美しい。
ここにも苔むした古いお墓があった。
背後には最近建てられたと思われるお墓もある。
石碑に風車が供えてあった。レンズのボケ具合を確認する。
水子地蔵尊である。風車やおもちゃ、ぬいぐるみなども供えられていた。
西院の河原堂。賽の河原のことである。
恐山でも賽の河原を見学した。
岩船山から見た景色はすばらしい。
ちょうど両毛線に列車が入ってきた。右下が岩舟駅である。
下山途中彼岸花を見つけた。もう秋である。
大平町の大中寺にきた。杉の大木に挟まれた参道はすばらしい。
山門から中を覗く。大中寺には七不思議と云われる伝説がある。
山門脇の大きな切り株。草も生えている。
山門を内側から写す。
もともと皆川城の城門であったものを移築したもので、指定文化財になっている。
上が本堂、中央の石段が七不思議の油坂だ。
ある学僧が逃げようとして転げ落ち死んでしまった。それ以後使用が禁じられている。
本堂は実に立派な建物だ。
右側が枕返しの間。そこに泊まると必ず頭と足の向きが逆さになる。
木造地蔵菩薩半跏像。
元々近隣の円福寺に安置されていたが、建物倒壊のため移された。
不開の雪隠。豪族晃石太郎の妻が雪隠の中に逃げ込んで自害、以後開けられたことがない。
馬首の井戸。晃石太郎が寺に逃げ込み、馬の首を切り落として井戸に投げ込み切腹した。
以来井戸から馬の首が浮かび出るとかいななきが聞こえるといわれる。
不断のかまど。ある修行僧が疲れてかまどの中で寝てしまい、焼け死んでしまった。
それ以後火を絶やさないようにしている。
本堂の裏側に古いお墓がたくさんある。
この墓の中央裏手にあるのが根なしの藤。
大中寺開祖快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を弔うため墓標としてさした杖から
成長したといわれる藤の古木である。
わかりずらいので、藤の古木の中心付近を撮っておいた。
七不思議については説明を一部省略してある。
なお、東山の一口拍子木については場所が良くわからなかった。
高勝寺・大中寺とも歴史があり伝説もあり、いろいろおもしろかった。
県南の方には古いお寺や神社があり、まだまだ知らないところも多いのかもしれない。
また何か新しいところを見つけたならば行ってみたいと思う。