北茨城・花園神社・六角堂
(2024/9/6撮影)


 写真展の準備の合間、ちょっと時間ができたので北茨城まで撮影に出かけた。花園神社はテレビで放映していて夏でも涼しいという。また、六角堂は大震災で津波で流され再建したというので以前から訪れたいと思っていた。花園神社は花園渓谷沿いにあり、確かに涼しく車の温度計では25℃位であった。山間の木々に囲まれた中に鎮座していてとても素敵に感じた。そして六角堂は四十数年前に訪れたことがあったが、再建されてきれいになりしかも昔の雰囲気も残していてとても好感が持てた。北茨城の2つの名所をどうぞご覧ください。




山間の渓流、滝も流れている。



橋の欄干を利用しスローで切る。しばらくぶりの渓流の音色は気持ちが良い。



赤い橋の向こうに楼門が見えてきた。



鳥居、その奥に楼門、更に拝殿が見える。



立派な楼門だ。寛政4年(1792年)に建替えたものだ。



鳥居を内側から撮影。苔に覆われた鳥居に歴史を感じる。
延宝2年(1674)建替。



改めて楼門を撮っておく。重厚な立派な建物だ。


   
楼門内の左右に置かれた石造仁王。
左は寛文13年(1673)弁高寄進、右は宝暦12年(1762)鈴木権衛門寄進だそうだ。



札所も森に囲まれていい感じだ。



拝殿である。嘉永4年(1851)建替。均整の取れた美しい形をしている。



神楽殿。御神輿、祭具が納まっている。左の荷物はどうにかしてほしい。



厳島神社。神池の中に社殿がある。
この地に女神が現れ神池を造り建立されたとの言い伝えがあるという。



ここにも小さな祠があった。
森に囲まれた祠の赤が素敵だ。



狛犬はほとんど顔が消えかかっているが、笑っているように見える。



こちらは本殿である。天保3年(1832)建替。



ちょっと気になって一部切り取って撮影。



正面には三猿の彫刻がある。



神猿(まさる)、神様のお使いだ。
境内に14体の神猿が祀られている。



龍の彫刻があった。顔の部分はよく見かけるが、胴体までしっかりできているので撮っておく。



小さな祠が3つ並んでいた。お酒がちゃんと供えられている。



御神木の三本杉。樹齢推定800年。
苔むした太い根に力強さを感じ撮影。



こぶ杉である。これは見事だ。
この形から子宝、安産、夫婦円満の御利益があるという。



場所は変わって六角堂付近の丘。岡倉天心の墓地である。
天心没後、大正2年(1913)霊園から分骨された。



天心邸。明治37年(1904)自ら設計したもののようだ。



松林に囲まれた優雅な佇まいだ。



六角堂が見えてきた。大震災の津波で流され再建されたものだ。



窓や外壁など昔の雰囲気が残っている。



六角堂の中から見た景色はさぞや素晴らしかったろうと思い巡らせる。



海の中に突き出たところに立っている。ここからの景色も素晴らしい。



左を見ると大きなホテルが立っている。まさに五浦らしい景色だ。



「亜細亜ハ一なり」の石碑。昭和17年建立。
岡倉天心の著書「東洋の理想」の冒頭の言葉「Asia is one」。
西洋文明が怒涛のように押し寄せてきた明治近代黎明期に
東洋のすばらしさを主張したものだが、のちに
ナショナリズム、ファシズムの宣伝に利用されることになった。
何とも残念な石碑だ。
北茨城の旅を終え、いよいよ写真展開催へ最後の準備を進める。



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