彦根城&安土城跡訪問
(2025/5/28撮影)
今回の旅行で彦根城は地図を見ていて発見、あのひこにゃんの彦根城だと思って行ってみることにした。事前に地図を調べておいたが、予想以上に見学地が広くてびっくりした。また安土城跡は友人から勧められた。彦根城を見るなら安土城も近いよと言われ調べてみると、なるほどすぐ近くだった。どうもこの辺の地理は頭の中で整理できず、初めて位置関係を理解した。あの織田信長のお城、テレビでは見たことあるが、自分の目で確認したいと思った。国宝彦根城とその周辺を散策、もちろんあのひこにゃんにも会ってきた。そして安土城跡はすごい迫力だ。今は石垣が残っているだけだが、麓の駐車場から見ても石垣と階段に圧倒された。ほぼ山登り、びっしょり汗をかき足はがくがくだ。それでもいい思い出になった。2つの城と城跡の様子をどうぞご覧ください。
彦根城に到着、山城なのでとにかく階段を上がっていく。
天秤櫓だ。長浜城大手門を移築したものだそうだ。
右側の石垣はごぼう積み。表面がデコボコしている古い積み方だ。
左側は嘉永7年(1854年)に大修理が行われ、落とし積みになっている。
左右の違いが判るのもおもしろい。
石垣の間をまだまだ階段が続く。
太鼓門櫓が見えてきた。もうすぐ本丸だ。
時報鐘。12代藩主井伊直亮の時代、弘化元年(1844年)鋳造したもの。
現在も1日5回ついている。
太鼓門櫓をくぐり、本丸に入ってきた。
国宝彦根城天守だ。現在5つある国宝の天守のうち、4つ目を制覇した。
なかなか品のあるお城だ。ちょっと覗くように見上げるのもいい。
内部は大きい梁が目に付く。戦後に再建されたお城とは違う。
大きな柱や板戸など歴史を感じさせる。
お城からの眺めは最高だ。琵琶湖が一望できる。
別の角度からもう一枚。ここも外国人観光客が多い。
着見櫓跡。ここには櫓があったようだ。彦根の街が一望できる。
太鼓門櫓の内部から通路を見下ろす。このようにして敵の侵入を見張っていたのか。
彦根城はとにかく広い。内堀はまるで川のようだ。
ひこにゃんは何時にどこに現れるか表示されている。
しかしその場所が初めて来た者にはなかなかわからない。
どうにか時間内に会うことができた。
ドリンクタイム。熱中症を防ぐため皆でお茶を飲む。
平日なのでお客はおばさんばかりだ。
ひこにゃんと目が合ってしまった。と言ってもどこを見ているかわからないが。
四番町スクエアにあるHIKONYAN MUSEUM。
ひこにゃんに関係するお土産なども販売している。
この奥にひこにゃんが現れた。
夢京橋キャッスルロード。
昔の城下町を模したお店が多数並んでいる。
すべて新しく作ったものだろう。その経済力にただただびっくりする。
中堀を渡り再びお城の中へ。中堀の中には中学や高校もある。
とにかく広い。ここは京橋口門で、かつて高麗門が築かれていた。
内堀は遊覧船が走っていた。のどかでいい感じだ。
玄宮園である。江戸前期に造られた池泉回遊式庭園である。
池の中央にある茶屋「鳳翔台」。再建したものと思われる。
4つの茶屋とその背後に彦根城天守が見える。
なかなかの絶景だ。天守はまさにシンボルタワーだ。
旧藩主の下屋敷「槻御殿」。
1679年に完成、大老井伊直弼は1815年ここで生まれた。
安土城跡にやってきた。彦根城から40分程度だ。
大きな石垣と永遠と続く石の階段が麓の駐車場からも良く見えた。
ちょうど一緒に着いた女子学生と思われる方はこの階段を見て断念した。
石垣と曲輪が多数残っている。
羽柴秀吉邸があったとされる場所も表示されていた。
階段の途中にはいくつか石仏も混じっている。
別のお城の石垣でも見た記憶がある。
罰が当たりそうだが、現在とは宗教観も違っていたのであろう。
動画撮影用の大型カメラやドローンを持参している集団と出会った。
一行の中には外国人もいた。
研究用か、それとも映画でも作るのであろうか定かではない。
お寺などで時々見かける仏足石。室町時代中期のものだ。
石垣の材料として使われていたようで、昭和初期に発見され安置されている。
頂上のすぐわきの二の丸付近に織田信長公天廟が築かれていた。
豊臣秀吉が建立したと言われている。ちょっと考え深いものがある。
安土城天主台跡。1582年6月に焼失。500年近くたっている。
帰り道は登りとは違う経路をたどる。
摠見寺(そうけんじ)三重塔。
安土城内に建てられたお寺は江戸末期に焼失してしまったが、
三重塔は残っている。
摠見寺二王門が見えてきた。
改めて正面から二王門を撮る。
築城に際し甲賀郡から移築したと伝えられる。
安土城跡を下山するともうへとへとだ。
他に見たいところもあったが汗でびっしょりなのですぐにホテルに向かった。
彦根城、そして安土城跡、ともにとても良かった。
次回は一乗谷朝倉氏遺跡を紹介したいと思う。